| 明治34年 10月 |
明照中学塾開講、漢文、数学を教え川下、門前、今津地区在住の青少年の殆どがこの塾に学ぶ。早朝と午後に分けて専念寺本堂で行う。同時に日曜学校開設。多くの子供の教育に当たる。 |
| 昭和6年 9月 |
明照童園伴設開園、幼児教育に当たる。 |
| 昭和7年 7月 |
川下幼稚園として県の認可を得、名称を改める。当時、川下地区で一ヶ所のみで今津、門前よりも広く園児通園。 |
| 昭和18年 4月 |
大東亜戦争が激しくなり、国の方針にしたがい戦時保育園として運営、名称川下保育園。戦時中一ヶ月も休園することなく、園児は陸軍病院その他に遊戯等をして慰問に歩く。川下の沖の住民は、航空隊造成により(現岩国基地)土地を没収され移転す。寺は特攻隊員の宿舎になっていた。 |
| 昭和20年 8月 |
終戦、園はそのまま保育園として運営。 |
| 昭和27年 1月 |
創設者 吉田戒音園長死亡。 |
| 昭和27年 8月 |
川下保育園を川下幼稚園として申請、許可される。川下小学校在職中の吉田戒雄が退職し当園の園長に就任。 |
| 昭和53年 9月 |
学校法人吉田学園岩国川下幼稚園として認可され運営を法人化し、公共性と私学の特主性を生かし、人間として最も大切な幼児教育に当たると同時に、防衛施設局に防音園舎新築申請をする。 |
| 昭和53年 11月 |
吉田戒雄園長に教育功労賞受く。 |
| 昭和58年 9月 |
園地を70坪拡張し、12月園舎新築工事に着手。 |
| 昭和59年 5月 |
新園舎落成。 |
| 昭和59年 11月 |
吉田戒雄園長に山口県選奨賞受く。 |
| 平成13年 12月 |
創立70周年式典 |
| 平成14年 4月 |
園長に 吉田清子 就任。 |
| 平成20年 5月 |
吉田清子園長に山口県教育功労賞受く。 |
| 平成21年 4月 |
園長に 吉田孝雄 就任。 |
| 当園は米軍基地に近く、多くの外国園児とも仲よく遊び学び合っている。運動会はペリースクールと合同で行っている。
園児の間では自然に日本語と英語が行き交い、インターナショナルな教育環境が特徴。 |